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2010

11/24

Wed.

11:25:41

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 

Category【随筆・エッセイ


僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)
(1997/08/20)
中島 らも

商品詳細を見る


書き出しをご紹介します。

 保久良山

 JR摂津本山駅の裏手に保久良山という山がある。山というよりは丘の大きなやつといったほうがいいだろうか。
 アタマに保久良神社の鳥居をのっけてチンと丸まっているさまは、何か“よしよし”と頭をなでてやりたくなるような、そんなかわいらしい山である。
 本山第一小学校に通っていたころは、体育の時間によくこの山に登らされた。
 ほいっ、ほいっ、と頂上まで行って、てっぺんにある神社の境内でひとやすみしてから、上りとはうってかわって楽な下り道をおりていく。学校に着いて、それでちょうど五十分という行程である。
 休みの日にはこの保久良山から尾根づたいの金鳥山へ出、さらにその奥へ分け入って「水晶狩り」をした。
 注意深く見ていると、山道をそれたところの石英の巨岩のくぼみに、小さな水晶が何本かヒンヤリとした風情でかしこまっている。



『ガダラの豚』を読んだら、らもさんのエッセイも読みたくなりました。懐かしい1冊です。

新聞に掲載されていたものをまとめたものなので、いくつもの短いエッセイが収められています。中には連載のように数回にわかれて綴られているのですが、その殆どがらもさんの小学生から大学生時代までのお話。神戸や大阪で過ごした日々の記録になっています。

らもさんと言えば、あの超有名な灘校の出身です。なんと8番で入学したといいますから、神童ですよね。ところが勉強以外のことがおもしろすぎて、成績はどんどんと落ちていく。折りしも大学入試の頃は学生紛争の時期でもありました。東大が入学試験を行わないという、今では想像できないような時代です。入試がないから、勉強がどんどんと遠ざかっていく。酒をあおり、音楽にはまる日々。

60年代、70年代のお話のはずなんですが、今でも「あるある!」と共感できるのが不思議です。昭和に青春期を過ごした人にも、平成生まれの人にも、子供心っていうのは時代に関係ないのかもしれませんね。

jumee☆point1d この本を読んで jumee☆point1d

・このエッセイの中にはいくつもの心に残るフレーズがあり、よく読み返しました。まさに今の自分にピッタリだと思える言葉に何度励まされたことでしょう。

・小・中・高・大とどんどんと大人になっているのに、心はいつまでも子供のような好奇心で満たされている。私もそんな生き方がしたい。




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「訳のわからんもの」ってけっこう強いんである。(P40)



モラトリアムの闇 4

 大学の四年間というのは、今考えてみると僕の一生の中で唯一の「何もしなくていい」時期であった。カギかっこでくくられていない時間が丸ごと四年間もあったわけで、こうした時間を今お金で買い取ろうとしてもそれはできることではない。僕は自分の来し方について悔やむということをほとんどしない人間ではあるけれど、この大学での四年間については「もったいないことをしたな」という気がしないでもない。というのは、この「何もしなくていい時期」を僕はほんとうに「何もせず」に過ごしてしまったのである。大学に行き始めた当初の漠然とした希望は、この四年間のあいだに「自分を何とかしよう」ということであった。
 「何とか」とは何かというと、サラリーマンになって働かなくてもいいように自分の創造力を生かした仕事で食べていけるようになる、ということだった。それは物書きでも何でもよかったのだが、一番の希望は曲を書いて食べていくことだった。作詞と作曲を本業にして、たまに自分のバンドでサイドギターでも弾けたらそれに越したことはない。ぼんやりとそんなことを考えていたのだ。自分にそうしたことの才能があるのは確信していた。ただ、惜しむらくは、僕は自分がそうした才能を「売る」ための努力ということが一切できない人間である、という事実に気づいていなかったのだ。大学の四年間というのは、自分がいかにルーズでずぼらな人間かというのを身をもって確認するための四年間だった、と言ってもいい。
 たとえば、僕の一年下の学年には、たしか世良公則がいたはずである。学食で何度かみかけたような気もするが、面識はない。世良公則などは大学での四年間を懸命にバンドに注ぎ込んで自分を「何とか」したわけである。同じ大阪芸大の出ではタレントのキッチュだの南河内万歳一座の面々などがいる(南河内万歳一座はもともとは芸大のプロレス愛好会だったのが劇団に変身してしまったのだそうだ。)この人たちもモラトリアムの四年間できっちりと何かをつかんだ人たちなのだろう。それに比べると僕の四年間はまさにポカンと口をあけていただけの四年間だった。僕は自分の才能を確信してはいたけれど、そうやってただ口をあけているだけで、そのあけた口の中に幸運が飛び込んでくるように思っていたのである。当たり前の話だが、幸運というのはそんな口に飛び込んでしまうほど鈍い奴ではなかった。全力で追っても捕まるかどうかのすばしこい奴だったのである。

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